TEKI雑記

古民家暮らしのDIYな日々を綴ります

🐭2020年🐭


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(新年の庭の山茶花です)

あけましておめでとうございます!ヾ(´ー`)ノ

この世はついに2020年まで来てしまいました。「北斗の拳」の19××年や「 ノストラダムスの大予言」から結構経ちましたが、この世はまだ続くでしょう。とはいえ、 人類滅亡とまでいかないにしても課題がたくさんあるのは確かです。 年明け早々、日本社会の課題を論ずる気はありませんが、自分が自分らしく活き活きと生きていくには今年はどうしていこうかと年始めだからこそ考えたいものです。 読者の皆さんもそう思いませんか?自分のことを 一生懸命年始めに考えてみる! そして今年一年のざっくりとした計画を立ててみる! そうすることで 前向きになり明るくなってくると思いませんか!✴️ここで何を自分のことばっかり!と人を批判する人や、自分のためではなく人のため世のために!と軽く口にする人は… 詐欺師かペテン師か偽善者か偽者である可能性が高いですので気をつけましょう。つまりそういう人の本音はこうです。あなたは私のために動きなさい!世の中は私が食いっぱぐれることのないように回りなさい!きょわいですねー((( ;゚Д゚)))わたち、人に自慢できる特技ってないんですけどね、 人に自慢すると顰蹙を買ってしまう特技というか才能が「人を見抜く力」なんですね。 人は様々なものを身に纏っています。まあ簡単に言えばデコレーションですな。 そういうものを私は全部剥がして脱がしてしまう。私はきっとスケベなんだと思います。 ただ勘違いしないでくださいよ。 私はデコレーションを脱がすことを目的とはしていません。 そこで優越感に浸りたいわけでもありません。 そういう意味でドスケベではありません。ただ そんなデコレーションゴテゴテではまともな議論もできなければ 関係性を築いていくこともできないと思うからです。 要するにお互いそういったデコレーションを脱いでフラットな状態になってこそおもしろく確かな関係性が築けるのだと思います。しかし多くの人がこのことをまったく理解できていないのです。痛い実例を紹介しますと、お互い自分のことを着飾り本性を隠し本音を言わない a さんと b さんが ノリと勢いで共同で事業を始めてしまいました。結果は当然、喧嘩別れ。しかも事業を始めてたった1年で。 彼らを支援応援したまわりからすれば、はぁ?!あいつら儲ける前に別れやがった!って感じでしたが、彼らと接した私からすれば、そんなに長く今の人間は猫をかぶることができないから 1年はそんなものだと思いました。 最短1年最長3年というのがはなからの予想でしたが、 彼らがうまくやり成功する可能性だってあると思っていました。 それはお互い得意分野が違っていたからです。 共同で事業する上でこれはすごい強みになると思います。 彼等が着飾ることなく、己の我を出しすぎずに本音でコミュニケーション取れる関係性を築けていれば、明るい未来もあったことでしょう。ついでにもう一例。 私の職場で働いていたC さんは、年齢はもうすぐ80歳というシニアアルバイトです。 都市部で 長く作家、ライターをされていたそうで、それ以外の職務経験はなしで人生初の製造業をやってもらっていました。私は彼の人間の品の良さと素直さを評価し起用してきました。 彼にとっては経験もない上に高齢となれば確かに肉体的にかなりきつかったと思います。とはいえ子どもではないのだから、肉体的体調管理もメンタルヘルスも自己責任で管理するのが社会人の鉄則です。そして 自分の体調についても自分で判断し、必要に応じて報連相するのも鉄則です。しかしCさんはストレスを勝手に溜め続け、半年後ついにCさんは私の指示やアドバイスに対して必ず言い返すようになりました。「 C さん、そんなに物積んでしまうと崩れてしまいますよ。」「いや、次から隣に積もうと思いまして…」「Cさん、これはこっちに入れて下さいね。」「いや、今やり直そうと思いまして…」こんなやりとりを毎回同じ業務でやっていました。要するに結果としてCさんは業務が覚えられなかったのです。さらにCさん自ら作った部品を焼却炉に捨てようとして、私が止めるということも繰り返してました。 私は毎回同じ指示を出すストレスに加え C さんの言い訳もかなりのストレスになってきました。そしてついに「Cさん、 こんなこと言いたくないんですけどね 、現場というものは忙しいんです。 なのでせっかちな人が多くて時にはガラが悪く怒鳴る人も多いですよ。 怒鳴る人間は確かに品がないですが 怒鳴られるようなことを繰り返す人は嫌われますよ!」「そうなんですかぁー」「 C さん今自分のこと言われてるんですよ。なんでそんな他人事なんですか!」「私ね、ずっと記者として取材もしてましたから、癖ですね。」「……(この人は今どこにおるつもりなんやろか) あのねCさん、これから若い人も入れるつもりです。こんなやりとり若い人が見たらどう思いますかね。人生の先輩として多少の威厳は持ってほしいと思います。」「老人はなんも考えてないんよ。先のことなんか。戦後社会は父なき社会できてるからなぁ。」元記者としてライターとしてそれだけの見識があるのに、どうしてそこまで他人事で言えるのか。彼にホンモノのジャーナリズム精神というものがあれば、他人事では終わらないと思います。必ず自分にも突きつけ再考するというプロセスがあるのです。本者は「失われた10年」「失われた20年」という他人事の表現では決して終わらせないでしょう。しかし偽者は己の飯のネタにしか思っていないから、軸もなければ方向性もむちゃくちゃです。結局Cさんとは長時間話し合っても、のらりくらりと論点をかわされ埒が明きませんでした。最終的に社長との面談を提案すれば、俺は会長の縁で来たと言い、ならば会長と面談するかと言えば、会長は我々がやった高等な議論ができない人だから無理だと言うのです。(会長に失礼です!) 私からすればCさんとの議論は中学生レベルで人様には聞かされない恥ずかしく情けないものでした。ちなみに C さんは W 大学出身なのですが、いまだに自分をインテリだと勘違いしている彼は最強に痛く感じました。 結局のところ彼は私に対して お前なんかにデコレーションを剥がされてたまるか!を貫き、職場を去っていきました。 人は相手よりも優位に立ちたい上でいたいという願望を誰しも大なり小なり持っています。勿論私にもありますが、究極はゼロにしたいですね。目指したいですね。そういう心が偏見を戒め相手を尊重することができるのだと思います。お互いそういう気持ちなら喧々囂々にはならなず、侃々諤々ができるわけです。そこには人種も学歴も年齢も男女も関係ないのです。それどころか境遇も生き方も考え方も違っても喧嘩にはならず、むしろ大いに違うからこそおもしろいコミュニケーションがとれるのです。しかし私も所詮人の子です。相手がデコレーションをゴテゴテに身に纏ったままなら尊重することはできましぇん。 デコレーションは自分自身に仮の自信をつけるという意味では役に立ちますが、相手に対しては上から目線の自己顕示にしかならないんじゃないですかね。私はそう思います。

うーん、話の本題から大分離れてしまいましたが、年の始め自分を輝かせるために真剣に計画を立てよう!人のためとか格好つけないで、自分のために考えよう!そうでないと、少女誘拐しといて真顔で私は少女を助けました!なんてぶったまげた偽善者になっちゃうよーって違うか。自分が人様に迷惑かけてもいないのに、まことしやかに説教たれてくる輩には気をつけろ!うん、これは重要ですね! 決して、他人を警戒し他人の意見を排除しろということではありませんよ !あなたに向けられたアドバイスは、本当にあなたにフォーカスして発せられたものかどうかを感じてください。そのアドバイスにあなたがいればそれは論理として心にとめアドバイスしてくれた人も気にかけておくといいですね。逆にアドバイスにあなたの存在が感じられない場合、それは一般的な理論理屈ですので、その理論理屈が今の自分にあっているかどうかの判断はあなた自身がしなければなりません。そしてあなたにフォーカスせず理論理屈だけを言ってくれた人にコミットし過ぎるときは注意して!と言いたいですね。夢を抱き計画し実行していく上で、トントン拍子で夢叶っちゃうなんてことはほぼないでしょう。必ず立ちはだかる壁が現れてきます。そしてその壁の種類は様々です。時には自分の能力を突きつけられることもあるでしょう。もしかしたら理不尽に嫉妬され足を引っ張られるかもしれません。 夢は自分の可能性を試し人生の価値を高めてくれるものならば、もしその夢を阻む壁がきたら望むところだと心得よう!

明治の文豪「夏目漱石」が亡くなる頃にやっと人類は平均寿命50歳の壁を破りました。それから一世紀が過ぎ、人類の平均寿命は80歳を超え100歳も見えてきた結果、人生100年時代と言われるようになりました。これはすごい変化です。人生50年と100年ではライフプランはまるで違ってきます。国レベルでも個人レベルでも、これからこうしたらよいという羅針盤などあるわけがありません!それなのにこれはこうだ!あれはどうの!それはおかしいと人のことや社会のことを簡単に言いきることの方がよっぽどおかしいことではないでしょうか。人に迷惑がかかっているのなら大いに意見してもいいですが、そうでもないなら人さまの人生にむやみに口出すことは失礼です。 繰り返しになりますが、もし人に意見する時はデコレーションを脱ぎ捨て、フラットな立ち位置で共に考えるというスタンスが大切です。そういう意味で仲間作りは大切です。しかし、最終的に己の羅針盤を作るのは他人や社会ではなく、己で作っていくしかないという基本は絶対に忘れてはいけません。辛くも楽しくもあるこの課題は、他の動物にはない人間の宿命なのです!