TEKI雑記

古民家暮らしのDIYな日々を綴ります

自給田んぼ

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普段、田畑にはカメラを持って行かないので(スマホはもともと持っていない。通話契約だけのガラケーも、集落内のエリア外の多さと、たまに電磁波障害的な反応を私の体がしてしまうため、不携帯のことが多い)カメラ内の記録は、DIYに偏りがあります。

よって、ブログも今のところDIYに偏りがあるのですが、先日、田んぼの写真を撮りました。
夏の雨の多さで稲刈りが遅れております。

田んぼは区画整理されていない、昔の棚田です。畦塗り、手植え、手刈りのハーフマンパワー田!

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上の田んぼです。畦に植わってあるのは畦豆です。昨年、畦豆が上手くいったので、「こんな簡単に、大豆自給、味噌自給ができるのか!!!」と感動していたのですが、今年の収穫はおそらく昨年の半分くらいです。
理由は播種・育苗時にカラスの襲撃にあい、全滅(+o+)モチベーション低下。播種時期が遅れての2回目の播種でなんとか、畦に移植するものの、小動物の襲撃にあい育成不良…。
それでも、収穫できたものを感謝していただきます☆

さて、私は「大工」ではないというのと同じく、私は「農業者」ではないと言えるでしょう。(労働を換金化する経済資本主義前提の「仕事」では、すべて否定になるが、換金化を前提にしなければ、私は「大工」であり「農業者」であると言える)
私が自給自足する動機はいろいろあるのですが、その一つに「動物として、当たり前に自然界で生きたい!」という思いがあります。自然界で生きるということは、生態系(エコシステム)の中で生きるということです。野生動物は皆当たり前に守っていることですが、かつての日本の暮らしもそうでした。
新建材という化学物質だらけの現代建築ですが、本来の日本建築は木・土・藁・紙・瓦等すべて呼吸する自然素材からできたものでした。糞尿も下肥として、土に還元されました。
農業が近代化(規模拡大・機械化・農薬、除草剤、化学肥料の使用・モノカルチャー農業)される60年代までは、食糧も自分の家族分くらい作っていました。今で言う家庭菜園が趣味ではなく、当たり前だったのです。
これは「自分の食い扶持は自分で賄う」という、自然界の当たり前の平等ルールです。
この平等ルールを壊した結果、今の自然環境や社会がよくなったでしょうか。

管理している田んぼは、たった3~4畝くらいですが、労働は結構なものです。経済的なことだけを考えるなら、田んぼにあてる労働時間をそっくり、会社でお勤めして稼ぎ、そして稼いだお金でお米を買った方が割がよいでしょう。(あくまでも米価暴落している現時点では)
しかし、安いお米を買ってお得だと思うのは、その分、そのお米を作った方が低収入で泣くということです。

私の知人がこう言いました。
「自給自足や手作りは、自分の幸せというイメージが強いが、実は、他人を不幸にしないというものでもある。」と。

なるほどなるほど。
しかし、実際の自給田をやるバックグラウンドはもっともっと広く、意義も深いものがあります。
気になる方は、是非、マイ田んぼを!