TEKI雑記

古民家暮らしのDIYな日々を綴ります

お肉を食べる前に~肉食についての考察

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いかにも教養がありそうな人が「われわれ日本人は農耕民族ですから、狩猟民族の西洋人とはちがいますよ」と得々として言うのを耳にする。御冗談でしょう!
「Venison うまいシカ肉が日本を救う」C・W・ニコル著 より抜粋
(写真は、先日獲れた鹿で鹿肉チャーシューを作りました。ネギと食べると美味です☆)

C・W・ニコル氏の仰るとおり、日本人も肉食はしていたと私も考えています。
四足動物の肉を食べることへの偏見や食肉禁止令があっても、隠れて肉食はされていたのです。その証拠が、お肉の隠語です。ということで、お肉の隠語クイズです!下記の隠語は何肉かあなたはいくつわかりますか?

紅葉(モミジ)
桜(サクラ)
柏(カシワ)
山鯨・牡丹(ヤマクジラ・ボタン)
黒牡丹・白牡丹(クロボタン・シロボタン)



答え

紅葉(モミジ)=鹿肉
桜(サクラ)=馬肉
柏(カシワ)=鶏肉 関西では今でも普通に言いますね。
山鯨・牡丹(ヤマクジラ・ボタン)=猪肉 国際的に規制がかかっている鯨ですが、かつては普通に食べていました。その鯨肉だと言いたいのでしょう。今でも田舎の特産で牡丹鍋は結構ありますので、知っている方は多いでしょう。お皿に盛りつけたとき、牡丹の花びらに似ていることからきています。
黒牡丹・白牡丹(クロボタン・シロボタン)=牛肉

あなたはいくつわかりましたか?

さて、食の分野で「肉食」は黒だとか白だとか議論対象になりやすいと思うのですが、(特にマクロビだとか日本の伝統自然食では否定されてしまうことが多い)実際のところはどうなのでしょうか。
「肉食」について全体像をつかむため、また物事は単純ではないため、違う角度から掘り下げてみる必要があると思います。


歴史からみる日本人と肉食

冒頭のC・W・ニコル氏が指摘するような日本のイメージは、どこから来るのでしょうか?
確かに明治の文明開化によって、本格的な?畜産が輸入され、「肉食」も公に解禁されました。それまでの日本は、天武天皇をはじめとする歴代天皇による食肉禁止令や、徳川綱吉による食肉禁止令のイメージが強いのかもしれません。地力維持のために家畜糞利用が欠かせなかった西ヨーロッパの有畜農業と、刈敷を施し水田という仕掛けをつくれば地力が維持できた日本の無畜農業の違いも大きいでしょう。
しかし、「肉食」は家畜だけとは限りません。野生動物がいます。私も昔の日本人が、お肉をガツガツ食べていたとは思いませんが、跳んで歩いている野生動物を見て、無視していたとも思えません。「狩猟採集」というのが本能的にあると思うからです。
そもそも、お肉を食べる民がいるからわざわざ禁止令を出すという見方もできますし、江戸時代では「ももんじ屋」といって獣肉販売業者も存在していました。畜産が発展しなかったとはいえ、鶏(卵自給程度や観賞用)や水牛(耕うん)、馬(耕うん・軍用)という家畜はいました。それらの家畜も公では食べてはいけないとされていましたが、人によってはまたはもっと大きく集落ぐるみで密かに食べていたのだと思います。(どんなに規制を厳しくしても、言うことを聞かない人は絶対にいる(笑))彦根藩は肉食が地域の伝統過ぎて、江戸幕府に牛革(陣太鼓に使用)や牛肉の味噌漬けを献上することで、牛の屠殺を特例に許可されていました。
食べるな!と言っても食べてしまうのは、お肉は美味しいからであり、また「薬喰」といわれるように滋養強壮に良いからです。


人の食性から肉食を考える

牛が草を食べるように、猫が魚や鼠を食べるように、リスがドングリを食べるように、カブトムシが樹液や果糖をなめるように…どんな生き物にも食性があります。もし、食性を無視した餌を与えたらどうなるでしょうか?(松本大洋の「花男」の茂雄は、カブトムシにおにぎりを与えていたな…)最悪、餌を食べられず餓死するか、急性的もしくは慢性的に不健康になるでしょう。
特定の食性がハッキリした動物に比べ、雑食性である人は何でも食べられます。科学技術を利用すれば食べられないものまで食べられるようにしてしまいます。ここで、加工品や食品添加物等の話をすれば、話が違うところにとんでいってしまいますので、加工されていない食材を食べることで考えたいと思います。そこで参考になるのが身体機能と、歯です。
まず身体機能ですが、人間は猿と同じく物をつかむことが得意です。何かをもぎ取るのに適した身体機能だと思います。例えば柿をもぎ取って食べるという行為は、人の食性に合っているといえるでしょう。
さらに詳細に参考になるのが、歯です。歯は周知のとおり、食すものによって形状が違います。穀物を砕く臼歯、肉や魚を断ち切る犬歯、野菜や果物をかじる門歯。これらの歯の形状比率から適正食性を見ると、穀物:肉・魚:野菜・果樹=6:1:3 というのが人にとってバランスの良い食ということになります。


現代食肉事情と肉食

スーパーに行けば、綺麗にパックされたスライス肉が簡単にしかも安く(人類史上という長い歴史から見れば、驚異的な量と安さではないか)買えてしまう現代ですが、市販のお肉がどのように作られているかを知らなければ、「肉食」が良いだとか悪いだとか言い切れないでしょう。お肉に限らず、すべての食材は質によっても良し悪しは決まるからです。
周知のとおり市販のお肉は家畜です。よって、現代畜産の実態を見なければ巷のお肉を語ることはできません。私は現代畜産に携わった人間として言いたいことはたくさんあるのですが、ここで現代畜産の詳細を話しますとまた長~~~~~~くなってしまいますので、またの機会にしたいと思います。
現代畜産の結果だけを見ますと、先述したように大量のお肉が安く流通するようになったということです。そして人々は、そのお肉の元の姿である生き物を想像することなく、またそのお肉の生き物が屠殺されるときの痛みを感じることなく、バカスカとお肉を食べられるようになったのです。


肉食は残酷で悪か

飼育されている家畜や家禽を食べるのと、狩猟で野生鳥獣を食べるのとでは、どちらが残酷なのでしょうか。飼育の仕方、狩猟方法によってどちらも残酷性は変わってきますが、食すという行為はいずれにしても残酷性は消えないと私は思います。その残酷性から「肉食」ができない方もいるかと思いますが、正常な反応だと思います。しかし、だからといってベジタリアンの方が「肉食」を否定するのは暴論だと思います。野菜だって果樹だって立派な生き物だからです。生き物はすべて生き物を食し生きているのです。感謝して命を頂くことができるのなら、残酷性があっても「肉食」はありだと思います。


現代文明生活と現代飽食時代がもたらす矛盾

市販されている大量のお肉は、飼育されている家畜・家禽です。そして日本で飼育されている家畜・家禽のほとんどが、大量の輸入飼料によって育てられています。
暮らしのエネルギーが薪炭からガス・石油・電気に変化したことによって、里山は必要ではなくなってしまいました。人が薪炭を得るために伐採したり、堆肥をつくるために落ち葉を拾うことで、日光が程よく差し込み草が生えれば、野生動物の餌になっていたと思います。里山は人と野生動物の緩衝帯であると専門家は言いますが、私はもっとポジティブにWin-Win帯であると思います。
狼が絶滅し、里山が放棄された今、里山は大変荒れています。ぐちゃぐちゃの伸び放題で暗い竹林や鹿の糞まみれの林は、汚いケガレチとしか言いようがありません。
現在、過剰に増えた鹿や猪を有害獣とし、農業を守るため駆除の名目で殺し、焼却または埋設処分している実態があります。
外国から餌を買って家畜を育てているのに、野性の国産のお肉をほとんどゴミとして処分している現代の矛盾です。


この肉食についての考察は、私が狩猟をはじめたバックグラウンドにつながります。
虐待を受けた家畜・家禽のお肉を無神経に食べるより、彼らとの対話によって得た彼らのお肉を感謝して頂くことの方が意義があることだと感じたからです。