TEKI雑記

古民家暮らしのDIYな日々を綴ります

畜舎概論

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豚舎を建てる前に、バックグラウンドも兼ねて家畜小屋についてまとめたいと思います。



家畜(家禽も含む)の家はどんなものか


畜舎(家畜小屋)」と聞いたら、あなたはどんな「畜舎(家畜小屋)」を想像しますか?

木造の牧歌的な「畜舎」ですか?

オートメーション化された窓のない「ウインドレス畜舎」ですか?

和英辞典で「畜舎(家畜小屋)」を引いてみますと、「barn」とか「hovel」がでてきます。
「barn」は家畜小屋の他に、納屋・物置という意もあります。
「hovel」も物置小屋という意に加え、あばらや・掘建て小屋という意があり、いずれも簡易的な(粗末な)建物ということがうかがえます。

野生動物が人に馴化するには、餌付けと餌付け場所が必要でした。
このはじめの野生動物を「囲う」という行為が、「家畜」と「畜舎」の歴史のはじまりです。

畜舎」の始まりを思いますと、確かに粗末なもので決して御殿ではなかったように思えますが、その後、国によって時代背景によって動物の違いによって様々な畜舎に発展していきました。

日本では「畜産」による肉食文化が発展しなかったために、豚舎の歴史は明治までほぼなしというのが私感ですが、馬小屋や牛小屋はありました。

中にはしっかりとお金をかけた馬御殿もありましたが、沖縄のメーヌヤーのように「家畜小屋兼納屋」というのが主流だったのだと思います。
これは民家が現代のように「住む専用住宅」ではなく、「住居兼作業場」だからです。(cf.古民家の二階は蚕部屋になっていたりしますよね)要するに家業があったわけです。家畜を飼う者は家畜と共に暮らしていたわけで、主屋も家畜小屋兼納屋も軸組工法で統制され、日本の自然に調和した統一美がありました。

しかし戦後の日本は高度経済成長に伴い、建築は大きく発展しました。
今まで在来軸組一辺倒だった建築に、鉄筋コンクリート造や鉄骨造が加わり、木造工法も2×4工法やログ工法が輸入されました。よって都市部には高層ビルが建てられ、田舎には様々な工法の家が建ち並ぶ統一性の無い集落ができました。

「民家」も変わったなら、「畜舎」もまた然りです。
ブロック(コンクリート)房、鉄骨造、スレート屋根…
家畜を究極に効率良く育てるために、「畜舎」はメガ化し、メガ化に伴い機械化した結果、「現代(近代)畜舎」は限りなく無粋な建築になりました。


現代畜舎の闇

「現代畜舎」が御殿なのは誰のためか

数千万円から数億円をかけて建てる「畜舎」は、始めの「hovel」と比べると御殿もいいところです。そんな立派な御殿に住めて家畜達はさぞ幸せだと言いたいところですが、「現代畜舎」の建設に莫大なお金がかかるのは規模が大きいからで、実際の1頭(羽)当たりの飼養面積はむしろ狭くなっているのが現状です。要するに、狭いところにぎゅうぎゅうに押し込めるほど利益が上がるというのが、現代畜産です。
マンパワーでは回らないくらいに大量に飼養するため、オートメーションシステム(自動給水・自動給餌・自動除糞)導入しさらに建設コストは跳ね上がります。

エネルギー消費(ランニングコスト)も莫大な「現代畜舎

戦後の「民家」のエネルギー消費も増加したならば、「畜舎」のエネルギー消費は爆増です。かつて「民家」のオール電化が流行ったならば、畜舎も大流行りです。
当たり前の単純計算ですが、「民家」は核家族になりましたが、「畜舎」は大家族になったのですから当然です。

多頭飼育による畜産公害

これまた当然の話ですが、大家族になればなるほどその下の処理はどうするの?という話です。悪臭と河川・地下水汚染は甚大です。

「現代畜舎」の最後は

これは現代建築全般にいえることですが、自然に還りにくいということと自然に還っても自然に有害であるということです。この粗大ゴミが建っているという問題ですが、最後は解体されれば良いのですが、解体に莫大なお金がかかるため放置され廃墟化することが少なくないように思います。最悪は糞尿も未処理のまま放置です。


畜舎」は監禁小屋で苦痛な場所か

畜産というものを真剣に突き詰めれば、誰しもがおそらくこう思うことでしょう。
「畜産とはなんと残酷なことかと…」
無理もありません。さぁ美味しく召し上がれと太らせ、最後は体で払ってもらおうか!というのですから。
飼養するのは結局は人間様のためで、「畜舎」という家畜を監禁する場所に、そもそも彼らのためにということが無理があるのでしょうか。

畜舎」は彼らを監禁していることは否めませんが、重要なのは彼らがその「畜舎」にいて苦痛かどうかということだと思います。
そしてそのこたえは、彼らに直接聴いてみるとわかります。
はい。畜舎の扉を開放してみるのです。
彼ら自身が監禁され虐待されていると感じていれば、脱走して戻っては来ないはずですよね。

好奇心で外に出ても、ちゃんと「畜舎」に帰って来るなら、「畜舎」は彼らにとって「家」です。
私の経験上、情を持ってお世話していると、鶏も豚も小屋から出てもちゃんと帰って来ます。
豚に関しては絶対に小屋から出ない子もいるくらいです。

最も「メガ畜舎」で飼養されている家畜を開放したことは私はありませんが(そんなことしたら社長から大目玉…いやいや損害賠償か指詰めですね)、彼らと接した経験上から推察すると、彼らは戻っては来ないと思います。

ここで誤解を招かないためにいいますが、「畜舎(畜産)」の規模の大小によって、彼らの幸福度が変わるわけではありません。
逆に規模が小さいほどマンパワーに頼るため、管理がお粗末だ!ということもよくあるからです。
要するに彼らをお世話する人のモチベーション、ストックマンシップの問題も大きいからです。

先述したように「メガ畜舎」の場合、オートメーションシステムが導入されるため、彼らは飢えと渇きの苦痛、床の不衛生という苦痛、寒暑の苦痛から解放されるという見方もあります。
しかしこれらはシステムが正常に機能していればの話で、実際のところトラブルが多過ぎるのです。(私が企業養豚に勤めていた2010年時点、落雷でシステム電源が落ちるという欠陥システムでした。補助バッテリーで間に合うレベルではないので、改善には自家発電しかないと思います)

残念ながらオートメーションシステムは彼らのためではなく、人間都合の効率化によるものです。密飼いに加え「肥育豚舎」(お肉になる豚さんの部屋です)なら、照明まで落とされます。24時間夜です。光があると生き物は活動し、無駄な運動をするからです。
だからです。そんな畜舎を開放すると喜んで彼らは出ていくと思いませんか?豚でも餌がそこにあっても己の自由を選ぶのではないかと思うのです。

人にも家畜にも地球にもよい「畜舎」とは

大量消費社会でモノカルチャー農業が成熟した今、民家にいた家畜達はほぼ姿を消されてしまいました。現在の家畜は、企業畜産のピカピカのメタル「畜舎」か、廃業せずに生き残った個人のボロボロの「畜舎」です。
実は代表の家畜である牛や豚、家禽の鶏は、漢字の「家の動物」という意から既に離れ、会社の経済動物になっているのです。

さて、人にも家畜にも地球にもよい「畜舎」をまとめたいと思います。
企業畜産の「ハイテクメタル畜舎」は問題外ですが、高度経済成長期に建てられた「畜舎」(これが先述した今は耐用年数が過ぎたボロボロの畜舎)も、ハイテクという負がなかったとしても、無粋な「メタル畜舎」です。
ならば、民家に併設された昔の「家畜小屋兼納屋」がよいのかというと、そうではありません。
人畜共通の病気がありますので、人が住む場所と家畜が住む場所は、あまり近付け過ぎるのはよくないからです。なので、おそらく家畜衛生保健所も認可してくれないでしょう。

呼吸しないプラスチックや金属でできた部屋は、人も家畜も神経がやられてしまいますが、呼吸する無垢材は気持ちが良いのは、人も家畜も同じです。
私が目指す「畜舎」は、ランニングコストがかからず、民家から少し離れた場所で、地元の無垢材を使い、在来軸組工法で建てたものです。