TEKI雑記

古民家暮らしのDIYな日々を綴ります

基本教育と自学自習

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この度、お箸を買いました☆
天然木の拭き漆仕上げという本物のお箸ですが、実はこのお箸、正しくお箸の持ち方が会得できる「矯正箸」なのです。

調べてみますと、今、日本人の7割の人が、お箸を正しく使えないのだそうです。
もうお分かりの通り、大変恥ずかしいことに、私もお箸を正しく使えない7割の一人だったのです。

私が自分のお箸の持ち方が間違っていると気づいたのは、記憶によれば小学5年生の頃だったと思います。
私が宿題していた時、母親がサラッと指摘したことによるものでした。アンタ、ペンの持ち方、おかしいんとちゃう?
その時、私は心の中で、おかしいもなにもずっとこの持ち方で良いって言われたからこれできているのに、今更間違っているとは何だ(`・д・´)と思いました。
お箸の上の箸は、鉛筆・ペンの持ち方と同じわけですから、間接的・連動的にお箸の持ち方も間違っていると分かったわけです。
鉛筆を持ちはじめた時、親も小学一年生の時の担任も私の間違っていることに気づかずOKを出したことに腹が立ったのと同時に、恥ずかしい気持ちでいっぱいになったのです。

そして気づいたその日から、私はペンを正しく持って勉強するようにしました。
間違った持ち方で慣れてしまっていたので、はじめは苦労しました。
しかし、半年くらい経ったころには、もう間違った持ち方には戻れないくらい正しい持ち方が定着したのを覚えています。
この時の成果という実感が、俺もやろうと思えばできるのだ!という自信に繋がったと同時に、大人に対する小さな反抗心が芽生えたのだと思います(笑)

で、お箸の持ち方もその時に正さなかったのか?
ということですが、これは私の怠惰により20数年経った今となったわけです。

さてさて、ペンの持ち方・箸の持ち方という超基本を私は自学自習して感じたことは、これは自学自習するものではなく、教育でやるべきだ!ということです。

「教育」とは呼んで字の如く、教え育てることです。
さらに、広辞苑で調べますと、「人間に他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動」とあります。
外部的要因を働く教育者が悪者ならば、子どももテロリストに仕立て上げられてしまうわけですから、現場においての高等教育・実践教育とは=洗脳にもなりうる恐ろしいものでもあるわけです。
教育というと、新しいツールや実践的・専門的なことばかりピックアップされがちですが、私がはじめにいいました教育とは、万人に当てはまる超基本教育のことです。

超基本教育は、洗脳の恐れがない万人共通のもので、自学自習するには効率が悪く、むしろ先達から教わることのメリットが大きいものです。
ペンの持ち方・箸の持ち方はまさにそうだと思うのです。
さらに、筆の持ち方、本の読み方、礼儀作法、食べ物の大切さ、茶碗の持ち方、お米の研ぎ方、包丁の使い方からはじまる料理の基本等々、挙げれば結構あるのです。
そして、超基本教育を主に担うのは、教育機関ではなく家庭の方が合理的且つ発展的であると思うのです。

例えば調理実習という教育を学校がやりますと、同じレシピを皆がやるということになりかねません。
私は超基本教育として、主食である大切なお米の研ぎ方を挙げましたが、まさかお米の研ぎ方や、包丁の使い方を子どもに教えた親が、実際の調理は一緒にしないということはないでしょう。必ず親子の家庭内調理実習という実践教育に移行するはずです。
また、お米の研ぎ方のように既に半分実践も入っている(家庭によっては無洗米かもしれませんしね)ものもあり、超基本教育と実践教育の線引きは時に曖昧で、時にはすぐ移行したりもします。
家庭内調理実習という実践教育を受けた子どもは、それぞれのおふくろの味をそこで学ぶから面白いのです。
そして人様の料理を口にした時、同じ料理でもかなりの違いがあったりもし、そこから自学自習してどんどん発展させていきやすいと思うのです。

「ごはんだよ!」と、子どもに声をかけた父親が、子どもに刺し殺される事件が先日ありましたね。
家庭内調理実習を行う親子間ならば、このような最悪の事態は免れていたかもしれません。